ターミナルというのは、行き止まり駅というような感じでしょうかネ。
基隆車站は新駅(地下化)になってまして、南駅舎と北駅舎になっておりました。ひとつの駅ですがホームの先頭か最後尾に近いか、というようなイメージです。
北側出口近くに「鉄路縦貫線起点」モニュメントがあります(写真上)。
昔、沖縄からの航路があったと思います。日本とも結びつきが強かった港町のひとつ「基隆」。
鉄道駅(北駅舎)の道を挟んだ斜め向かいはフェリーターミナル(西)があります。
駅舎自体は南部分がメインのようです。
ターミナルというのは、行き止まり駅というような感じでしょうかネ。
基隆車站は新駅(地下化)になってまして、南駅舎と北駅舎になっておりました。ひとつの駅ですがホームの先頭か最後尾に近いか、というようなイメージです。
北側出口近くに「鉄路縦貫線起点」モニュメントがあります(写真上)。
昔、沖縄からの航路があったと思います。日本とも結びつきが強かった港町のひとつ「基隆」。
鉄道駅(北駅舎)の道を挟んだ斜め向かいはフェリーターミナル(西)があります。
駅舎自体は南部分がメインのようです。
「阿妹茶楼」が「ゆばーば」の館のモデルと言われております。
下からバスであがってきて、九份バス停で降りたら、少し前方のカーブのところにたくさんの人だかりがあります。老街の入口です。
沢山のお店と人ごみは避けようがありません。ただただ、進むのみ。
人ごみに沿いながら歩くと、そのうち進行方向の左に「小師父」、右に「黒金剛花生」が見えたらその角で右下に階段を下ります。階段下りると左に「九份聯合辨公室」があり、前方を見ると、道の真上に赤地に黒い「阿妹茶楼」の幟・看板が見えたら、それがゆばーばの館のモデル…ということみたいです。
人の列は「小師父」と「黒金剛花生」を見ながら直進する人が多いみたいです。角で右下に階段を下りないと、どこだろうかとそのまま進行し、下り坂になりかけ見晴らしの良いところまで行ったら、行き過ぎということであります。はい、おそらく…。
まあ、ブラブラ見て歩くのには良いのですが、時間がないとか、歩くのが苦手という人には、キッチリ目的地を見失わないようにした方が良いでしょうね。
「阿妹茶楼」をそれなりにカメラに収めようと思えば、ちょっと隣の茶館の敷地に入り込む、というようなことが必要になりそうであります。マナーに気をつけたいものであります。
「阿妹茶楼」を右に見ながら階段を下り切ると、バス停方向は一応右です。しかし、バス定位置より標高が下の方に来てますので、階段を上がる、上り坂を歩く、というエネルギーを残しておくことが大切です。あ、見晴らしの良いところに茶館もあったです。
1941年に設けられた写真に写っている郵便ポスト、これが台湾全土で一番古いのだそうです。
石炭の街・菁桐のひとつ下ったところにある平渓です。この街も石炭に関係が深かったのだろうとマスコット人形から想像している爺であります。
爺の父親、北海道、長野県などで炭鉱で仕事してまして、長野で爺は生まれました。なので石炭関連はなぜかチョット気になるです。
平渓線終点・菁桐車站の線路を挟んだ山側にある「碳場咖啡-百大歷史建築(選洗煤場)」に行きました。
線路を越え、階段を上がってたどり着いたところは珈琲店。
そのまま建物を見晴らしの良さそうな方へ向かうと、大きな部屋でした。
説明をしていただきました。40年前まで菁桐に学校があって、そのときに使っていた小学生用の机と椅子に座っていただいたところを撮らせていただきました。
石炭産業の衰退とともにこの街の姿も変わっていったのだそうです。歩いて数分のところに1937年(昭和12年)につくられた「石底大斜坑」坑口を見ることもできます。
往時の繁盛ぶりが見えるようです。
7日の夕食で一杯いただきました。
基隆からホテルへの帰り、夕食を延三夜市でいただきました。
www.taipeinavi.com
この屋台、お店の名前がよくわかりません。延平北路三段の道沿い・東側にある、FamilyMart(全家便利商店 新橋店)の前でやってました。
ひょっとして「延三赤肉羹」という屋台なのかもしれません(爺の想像)。
↑リンク先画像の屋台の感じ一緒です。
なかなか美味しかったです。爺がいただいたのは麺で45元でした。懐にも優しいです。
「羹」と「●」(火に庚)は同じ意味の漢字なんですかね。「羹」は「羊羹」(ヨウカン)で使う字ですね。いわゆる練り物の一種ということですね。ドンブリに「肉羹」とモヤシ、とろみのあるスープ、ちょっと焦がした(ニンニクかな?)トッピングがありました。あっさり目の旨さでした。
#夕食 pic.twitter.com/uF1CJQlt3y
— pagetaka:爺ですが何か?😓 (@pagetaka) June 7, 2018