旅のブログ

移動、旅、などをとりあげます。経験とネット上の情報など、現実と妄想ごちゃまぜ悪しからず。

ソウル:英語が通じやすかった

13日から15日までソウルに行って来ました。

空港で英語が通じるのはあたりまえのこととして、多くの場所でも大丈夫だったのが印象に残りました。

ソウルへは2000年ころ2回、2008年に1回行っているはずです。
今回、道を尋ねるなど警官にお世話になった例が多かったです。ソウルの街に警官が多数いた、ということでもありますが、英語での応答に不自由はありませんでした。もっとも、爺が使う程度のことですから、難しい単語や内容ではありませんので、本当に不自由がないかどうかは別ですけど、ともあれ旅行者の爺には不足がなかった、ということです。

英語を母国語としない同士の会話はそれなりにうまくいく、というのが爺のこれまでのおよその経験です。
13日夜に夕食をしたお店では、隣席の若者二人と話しました。非常に気さくでした。英語、ハングル、日本語とチャンポンになり、お酒を注いだり、お肉をいただいたり、そして、沖縄に行くんだと嬉しそうでした。街中で道を尋ねたりしても、中年くらいまでならそれなりに用事を理解してくれ親切に教えてもらった今回のソウル3日間でした。

英語帝国主義論、というのがあります。爺はそういうことだと思う反面、分断されていた弱い立場の民族が英語を媒体にしてつながっていくという側面もあるのだと、そのようなことも思ったりもするのだと思いました。

おかしな日本語メニューも少なくなっていた

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左のラーメンメニュー「まんじゅうなら」となっています。(写真上)
おそらく「餃子ラーメン」とかいう意味かと…。
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冷製そば(韓国の蕎麦)なんでしょうが「そば)」となっています。(写真上)
でも、大概のところで適訳で、かえってこういう誤訳を見るほうが少なかったという印象です。

15年以上前、ネィティブのアメリカ人が、変な英語のTシャツを見つけると買ってしまう、とかいってましたが、現在の日本はどうなんでしょうね。

仁川空港ではロシア語で子どもと

ロシア語、爺は知らんです。でも、4、5歳くらいの男の子が、話しかけてきて、握手もしてきたです。それも、なかなか握った手を離さないという、まあ言うならロシア式というか…。
え~と、あいさつはと思いだし「ドブレ・ジン」とか「ドブレ・ユトロ」とか言ってみたら、「ドブレ・ジン」を異なる発音で子どもが返してくれました。「スパシーボ」が出てくればよかったんですけど思い出せなかった。最後に「ダスビダーニャ」でお別れしたです。

そうそう、安国駅から北川村・ポルトガル大使館では当然のようにポルトガル語が…。話す機会はなかった…。いえ、爺、ポ語だめですけどネ。
市内の案内、ハングルは当然として、アルファベット(英語)、簡体字(中国語)が多かったです。次いで、かな漢字(日本語)、キリル文字(ロシア語)という状態でしょうか。日本語のメニューを表示しているお店などは10年くらい前に比べると少なくなっているのではと、漠然と思いました。
観光で歩いていると、中国語の音らしいのを聞くのが多いみたいですね。

とりあえず英語…

ハングル習ったことないのです。釜山に何回か行くうちに、ハングル少しは読めないとバスにも乗れない、と思ったので本で少し勉強したです。普段使うことないので今はまたほとんど読めない(≒発音)です。また、今回、ソウルでは英語で大丈夫というようなことで、ハングル使えないので困った、ということにならなかったですしね…。
そんなわけで、とりあえず英語、と思ったです。

1994年6月・初海外旅行の時、ホテルカードも持たずに外出して迷子になったです。ポルトガルポルトという街でした。なんとか帰れたのは、ホテルの名前と、ポ語「ドンデ・エスタン・ホテル・XXX」というのを覚えていたおかげ…。その時、「英語は話せるか」と英語で現地の人に言われたことが爺の人生を大きく変えたです。

爺、中学で英語に触れるまで体験無し。中学の英語も最初は「I have not a pen.」という世代です。転校生でしたので1年間英語の教科書無し、という、英語トラウマであります。
それが、高校卒業後23年目にして、ポルトガルで迷子になり「英語は話せるか」と問われるという…事件でありました。仕事した郵便局で、窓口業務の時は外国郵便で複雑な応対が必要なものはちょっと困っていたです。ポルトガル団体旅行から帰って半年間我流独学で旅行用の英語を勉強し、度胸試しにインドに行ってきたです。それから、おおまかには旅行のときにことばですごく困った、ということは無くなったです…。困ってみると、なんとかしようとかいうのも性根が入る、ということかと…。

あまりストレスに思わずに英語を使うというのは大切なことかと思うのですが、日本で「英語脳」になる機会はほとんどなく、痴呆症・健忘症・怠け癖も重なり、加齢とともに英語も怪しくなってきている今日この頃…。