本日は、レンタカーで沖縄本島の最北端へ行ってきました。
上の写真、画像処理してないので見えにくいでしょうけど、少し右側の入道雲らしき下、水平線のところに島影と思しきものが見えますでしょうか。
写真の島影は、おそらく与論島ではないかと思います。
1972年に沖縄が本土復帰するまでは国境線があったのだということになります。沖縄と与論島(奄美群島)は兄弟島といわれながら第二次世界大戦の結果、ともに米国施政権下におかれ、奄美は1953年暮れに本土復帰。その結果、国境線ができ、そのときから20年近くのちに沖縄が復帰し、再び自由に往来ができるようになった、という歴史があります。
岬には復帰闘争の記念碑がありました。いろんな国の人が記念写真を撮っていました。中国の人は漢字が読めるのでなんらかの理解がすすんだかもしれません…。一方、英語も聞こえてきました…。この人たちはどうなんだろうとも思いました。
しかし、目の前に国境は無く、一応自由に往来できる。
このあと、高江と辺野古に行きました。米軍と政府が一体となって沖縄に負担を強いている最前線を見てきました。「米軍」という特権が沖縄に治外法権の場所をつくっているのだと…。沖縄の苦しみは、この状態と深くかかわっているのだと思いました。